クラッシックカメラと珈琲

ある日の贈り物

 先日、知り合いから思いがけない贈り物をいただきました。

それは、時を重ねた質感をたたえるクラシックカメラ
その隣には、香ばしい香りを封じ込めたグアテマラ・ロズマ No.9の中煎り珈琲豆のドリップパックをそっと添えてみました。

重厚感のあるメタルボディに、長年使い込まれた味わいがにじむグリップ。
シャッターを切ると、現代のデジタルカメラにはない「手ごたえ」と「音」が、静かに心に響きます。

珈琲は、華やかな香りと、どこか懐かしさを感じる柔らかな苦味。
まさに、五感を静かに刺激してくれるような贈り物でした。

静かな時間の始まり

ある日の午前中、店のカウンターにカメラを置き、ゆっくりと珈琲を淹れる。
挽きたての豆の香りが漂う中、ゆっくりとお湯を注ぎながら、カメラのファインダーを覗く。
光と影のバランスを確かめて、息を整え、シャッターを切る。

静かな時間でした。
スマートフォンでは味わえない、「一枚を撮る」という行為の意味。
一杯の珈琲がもたらす「深さ」。
どちらも、“待つこと”と“向き合うこと”の大切さを教えてくれます。

想いを受け継ぐということ

この贈り物をくれた知人は、
「お店の雰囲気に合いそうだと思って」と、やさしい言葉を添えてくれました。

物は、ただそこにあるだけでは意味を持ちません。
使い手の想いや手触りを受け取ってこそ、初めてその価値が生まれるのだと感じます。

このクラシックカメラも、珈琲も、単なる道具や嗜好品ではなく、
“贈り物”として、私の中に静かに、確かな時間を刻んでくれました。

終わりに

カメラと珈琲。
どちらも少し不便で、少し手間がかかるもの。
けれど、だからこそ私たちに、“丁寧に生きる”ことの豊かさを思い出させてくれます。

贈り物とは、モノそのものではなく、
それに込められた時間と気持ちなのだと、あらためて感じました。