ふと、「筆で文字を書くことが全くなくなったなぁ」と思った。
正確に言えば、昔から頻繁に筆を使っていたわけではない。
それでも、かつては年に何度か、筆や筆ペンを手にする機会があったように思う。
例えば、暑中見舞いや年賀状。
季節の挨拶を、筆ペンで丁寧に綴っていた頃があった。あの少し緊張しながら文字を整える時間。うまく書けたかどうかよりも、「気持ちを込めて手で書く」ことに意味があったのかもしれない。
けれど今では、それすらもパソコンやスマートフォンに置き換わってしまった。印刷された美しいフォントで作った挨拶状を出すことすら、最近ではすっかり減ってしまった。
「LINEで済ませた」「今年は出していない」――そんな声が聞こえるたびに、少しだけ寂しいような気もする。
そうやって筆どころか、ペンを持つ機会もどんどん減っている。
文字を書くことそのものが、いつの間にか特別な行為になってしまった。実際、最近は簡単な漢字すら思い出せなくなっていて、「あれ、こんな字だったっけ?」とスマホで確認することもしばしば。
先日、そんなことを思い出したのは、休日の午後。
お気に入りの珈琲を片手に、久しぶりにスマホの写真を整理していたときだった。過去の年賀状の写真が出てきた。そこには、かつての自分の手書きの文字が写っていた。拙いながらも、そこには温かさがあった。時間をかけて書いた思いが、今になって少しだけ懐かしく感じられた。
筆に限らず、「手で書く」という行為は、便利さに押し流されてしまったもののひとつ。
けれど、それが持っていた静けさや丁寧さは、今もきっと心のどこかに残っている。
たまには筆を持って、誰かに手紙を書いてみようか。
あるいは、自分自身のために、ゆっくり文字を綴ってみるのもいいかもしれない。
忘れかけていた日本語の手触りを、もう一度感じるために。